書評 : ロビン・ウイリアムズ『2007年─そのうちはじまるほんとうの話』

書評 : ロビン・ウイリアムズ『2007年─そのうちはじまるほんとうの話』

ロビン・ウイリアムズ『2007年──そのうちはじまるほんとうの話』 Robyn Williams, 2007—a true story, waiting to happen (Sydney: Hodder, 2001, ISBN 0 7336 1424 8)

ユートピアや反ユートピアを描いた未来小説はたくさんある──たとえば英語で書かれたものでは、ハックスレーの『すばらしき新世界』やオーウェルの『1984年』などが、いまでも読みつづけられている。なかには、環境をテーマにしたものがある──英語で書かれたものでは、アーネスト・カレンバックの『エコトピア』三輪妙子・前田公仁訳『緑の国エコトピア』ほんの木)はなかなか良いが、すでにほとんど忘れられているかもしれない。もちろん、日本のマンガやアニメには、環境をテーマにしたものがたくさんある──宮崎駿の『ナウシカ』はその代表例だ。しかし、環境に負荷をかけているのは人間であるというテーマを真面目に扱うものは少数であり、面白がらせながらそうするものは、さらにわずかしかない。

ロビン・ウイリアムズは、評判のよいオーストラリアの科学ジャーナリストであり、毎週のラジオ番組「ザ・サイエンス・ショウ」でよく知られている。 学術的な世界に自ら閉じこもっている科学者だが、この人たちをなだめすかして外へ連れだせば、だれよりも科学のことを興味深くしゃべれるのだ。

ウイリアムズは、このことを25年以上にもわたってラジオでやってきた。人に自分の情熱を語らせることにも、また、その専門家が何をしているのか を、他の多くの人びとが理解できる言葉で語らせることにも、ウイリアムズは巧みだった。それゆえこのラジオ番組は賞をとることにもなった。毎週毎週、何年 も何年も、生物学者、物理学者、分子化学者、天文学者、生態学者が自分の話をし、高い視聴率を得たのだ。

『2007年──そのうちはじまるほんとうの話』を書いて、小説に手を染めたウイリアムズは愉快そうである。たしかに メッセージのあるフィクションなのだが、ユーモラスなからかいに溢れている。私たちはようやく理解しはじめたように、気候変動はゆっくりとした直線的なも のではなく、むしろ破滅的な性格のものだ。言いかえれば、地球の気候は、除々に移行していくのではなく、一瞬にして劇的に変動してしまうのだ。約10年 間、移り気で不安定な異常気象が除々に増加する状況が続いた後、『2007年』がはじまる。

どうやら、ある種のシステムが限界に達し、動物界に奇妙なことが起きはじめる。鳥たちが飛行場の滑走路に集まり、飛行機が離着陸できない。馬や牛の 糞で自動車道が使えなくなる。「ある新聞の見出しは『牛がメルボルンを閉鎖』だった。他の新聞の見だしには『何か変わったことが?』などとある」従順だっ たペットが、可愛がってくれる主人を捨ててどこかへ行ってしまう。冷たい南極海では日本の調査捕鯨船が、破裂モリを使ってクジラ、そして仔クジラの調査を 何ごともなく遂行していたが、アホウドリの編隊と協調するクジラの群れによって転覆させられ、沈没してしまう。

世界中で、鳥類と哺乳類が「事態」を掌握し、環境──彼らの環境──を汚染する人間に反抗しはじめる。協調して起こっているように思われる攻撃が、 数日のうちに産業社会を停止に追いこんでしまう。いったい、どうしてそんなことになるのか? どうやって、動物たちは連絡をしあい、こういった複雑な活動 を開始する決定をしたのか? だれも答えられなかったが、ウイリアムズの描きだす登場人物の一人(じつは、実在するデイビッド・アッテンボローを、好意的 にかつ鋭く風刺している)は、こう言う。我われの体の細胞が成長するために必要な協調だって、我われには説明できないのだから、この問題についても我われ が無知なのは驚くにあたらないんですよ、と。

しかし、動物たちの攻撃は、総攻撃ではなく目標は限定されている。明らかに意図的に、人間世界の指導者たちには、相互連絡の手段を残しているのだ。 人間が自分たちの行為を秩序だったものにする最後のチャンスを残しているように思える。しかし、当たりまえながら、政治家たちや軍の指導者たちが、このこ とに気づくには時間がかかる。敵はどこにいるのか。「世界の未来について私はボーダー・コリー犬と交渉をしなきゃならんのかね?」とある国の大統領は言 う。「えー、実際そうなのです」が答えだ。

途方にくれた世界の指導者たちが国連に集まるとともに、三人の主人公──いや、四人と言わねばならない──、そしてとびっきりの敵役が登場して、物 語が動きだす。ジュリアンは、タスマニアのとんでもない僻地から来たサンダルばきの気象学者。ルイーズは、そのかしこい娘で12歳。ジェズは、彼らの、さ らにかしこいボーダー・コリー。そして、愉快で頭脳的なケイトは、ときおり独善的になるジュリアンの好対照。集まった世界の賢者たちに助言するべく、ジュ リアンは、ルイーズとジェズとともに、ニューヨークに呼ばれたのだ。冷静な企業アナリストであるケイトも、また同様だった。

まず、何人かの世界的に知られた環境専門家──特に三人のデイビッド、つまり「サイエンス・ショウ」のレギュラーだったデイビッド・アッテンボ ロー、デイビッド・スズキ、デイビッド・ベラミー──たちの人物像が親愛をこめて愉快に描かれる。ジュリアンがぶつかる壁は、政治家たちの科学についての 途方もない無知と、ケイトのボス、ブリーン上院議員のマキャベリー主義的な策謀との両方だった。ブリーンの企業は遺伝子操作による植物の特許をもっている が、それで一儲けできると見たブリーンは、解決策として大胆にも動物殺傷計画を提案する──世界中の大型動物を絶滅させるという。

どうしてか、とブリーンは言う。大型動物は、どのみち絶滅する流れにあるではないか。それならば、合理的に、迅速に、かつ人道的に、そうしようでは ないか。その利点もあるではないか──動物によって媒介されるHIVのようなビールスや疫病はなくなる。牛がいなくなれば、糞から発生するメタン・ガスで 温暖化に拍車をかけることもなくなる。耕作地の使用をめぐって人間と家畜がはりあうこともなくなる。(筆者は、この最後の「利点」を読んで、ウイリアムズ は日本の水産庁のお役人をインタビューしたにちがいないと思った。というのは、日本のお役人たちは、人間の口に入るべき水産資源をクジラがとっているの で、クジラを捕殺することは正当化できると言うのだ。)そしてもちろん、遺伝子操作による代替作物からの利潤はたいへん大きなものになる。

どうやら政治家たちは動物殺傷計画を飲むことができないと見ると、ブリーンは自分で計画実行に着手する。言うまでもなく、動物殺傷は妨害されるのだ が、それは世界中の鳥類、ペット好きの子どもたち、異端の分子生物学者たちの無邪気な協力があってからのことだった。分子生物学者には、バイオリンでバッ ハを弾きながら、紙と鉛筆で新しい分子をデザインする方法がひらめくという人たちがいる。

その非人道的な惨劇は回避され、世界の権力ブローカーたちは、ジュリアンとケイトが書きあげた計画──つまり、持続可能性と、常識と、環境的価値 と、純粋に効率的な技術の適正利用とのバランスをとり、ある種の「自然資本主義」に到達する計画──を、しぶしぶ受けいれることになる。

「もし、原子力発電所はいいということにしたら、下水による排水をやめて、そのかわりに蟲養殖場をつくってくれるかい?」とジュリアンはたずねた。

「どのみち、蟲養殖場はつくることになってたのよ。下水なんて石器時代の代物よ」

「じゃあ、なにを?」

「もし、土地を耕さなくてよい作物を考えてくれるなら、除草剤に耐性のある遺伝子操作作物を禁止しましょう。土地に手を加えないなら、温暖化を低減させ、表土の飛散もとめることができるでしょ」

「オーケー!」

「じゃあ、もし・・・」

通常の産業活動に2年の猶予期間があたえられ、ケイトとジュリアンの自然資本主義へ移行するという約束が確認され、ガイアには穏やかな平衡をとりも どすチャンスがあたえられるのである。動物たちが包囲網を解くまでに、かしこい子どもたちと、かしこい犬たちが大活躍するのは、言うまでもない。

ウイリアムズがノーベル文学賞を受賞したりはしないだろう。が、これは良質の物語であり、しかもたくさんの冗談がつまっている。たとえば、クリント ン後のホワイトハウスを舞台にするセックス復讐劇という楽しい一幕もある。環境論者たちの、あまりにもお馴染みの独善的な様子や他の世間からの隔絶を、優 しく風刺するウイリアムズは私たちをめっぽう面白がらせてくれるが、おそろしいほど本気である。小説の中核となっている冗談は、ジェームズ.ラブロックの ガイア仮説──地球とその生物相は、単一の相互関連したシステムであり、重要なことには自律的なシステムであるという仮説──の論理的展開だ。ガイアの自 律は、じつに、おろかな人間への反逆に帰着するかもしれないのだ。

人間以外に存在する何百万の種(そのほとんどはまだ命名されていない)が、植物はもちろんのこと、動物がいかにして、驚くべき複雑な成長と行動を組 織しているのか、私たちはほとんどなにも解かっていない。それらの動物種と地球規模のエコ=システムとの相互依存関係については、さらにわずかしか解かっ ていない。動物の叛乱という冗談など、まったく真面目な話ではない、とだれが言えるだろうか。ごたぶんに漏れず、私たちは、自分たちが地球に何をしている のか、ただ知らないだけなのだ。三歳児が飛行機の操縦をできないことと同じと言ったらいいかもしれない。

これまでのところ『2007年──そのうちはじまるほんとうの話』は日本語に訳されていないが、微妙な冗談の面白さは別として、ウイリアムズの英語は難しくない。読んで絶対に損はないお薦めです。