「サシミの刑」──南マグロは生き残れるか (その2)
今年は、日本対オーストラリアおよびニュージーランドのミナミマグロをめぐる国際法上の対決は避けられない情勢にある。国際海洋法裁判所の命令による1999年8月の交渉は、これまでのところ両者の主張にいかなる変化ももたらさなかった。
日本は、調査漁業の結果、ミナミマグロのストックはこの30年の乱獲によってもたらされた最悪の状態から急速に回復しつつあると主張している。した がって、総漁獲許容量を増大することは間違いでない、またそれゆえ日本の漁獲割当を拡大すべきであるというのだ。一方、オーストラリアとニュージーランド は、日本の提示する証拠は科学的にまちがっており、総漁獲許容量の増大、とりわけミナミマグロ保存委員会に加盟していない国々による漁獲量の増大は、ミナ ミマグロ漁場崩壊の危険をまねく可能性が非常に高いと主張しているのだ。
三カ国は調停に持ち込むことに合意し、期限以内に三カ国による交渉が失敗に終われば、調停裁判があずかる問題となり、国連海洋法のもとに三カ国は調 停裁判所の調停に法的に拘束されることになる。日本は昨年の国際海洋裁判所における第一審では敗訴しているにもかかわらず、農水省の係官は日本は法的にも 科学的にも充分に強い立場にあり勝つであろうと信じているようだ。オーストラリアの担当係官も自分たちが勝つであろうと確信している。
しかし、調停裁判所のだす結果がいかなるものであれ、ミナミマグロにとって、ミナミマグロ委員会にとって、さらには国際的な環境問題に責任をになう一員としての日本の評判にとって、未来の見通しは暗いといわざるをえない。
ミナミマグロ論争の政治的性格に対する日本政府の完全なる誤解
この問題をめぐる政治について、すくなくとも一点、日本政府はとんでもない誤解をしている。私が話をきいた日本政府係官は、オーストラリア政府がその意見を強固に守るのは環境団体の勢力を恐れているからだと、固く信じている。
1980年代後半と1990年代初めには、オーストラリア自然保護基金 Australian Conservation Foundation、自然保護協会 Wilderness Society、グリーンピース・オーストラリアのような環境団体が、ホーク首相やキーティング首相の労働党政権のもとで環境政策の形成にかなりの影響を 与えていた。
しかし、1993年自由党−国民党の保守連合が選挙に勝つとともに、環境NGOの影響力は急激に低下した。温暖化ガス排出やカカドゥ国立公園内のウ ラン採掘などをめぐる1990年代のもっとも重要な環境政策をめぐる議論で明らかになったハワード政権の環境問題へのスタンスは実際あいた口がふさがらな いといっていい。
主要な環境団体からの政策提案にたいする保守連合政権の抵抗は極端ともいうべきものである。そして、1980年代にくらべ、多くのNGOは規模にお いても弱体化し力を失うことになった。オーストラリアの比較的大きな環境NGOのうち、ミナミマグロ問題を運動の課題としてとりあげたのはグリーンピー ス・オーストラリアだけであった。ヒューメイン・ソサイアティー(動物愛護団体)やトラフィック国際取引監視機関のような国際的な連絡網をもつ小さなグ ループも活動しているが、総じてその影響力は大きいとはいえない。日本のミナミマグロ政策にオーストラリア政府が抵抗するのは背後にオーストラリアの環境 団体の圧力があるからだとする日本政府は、この点で間違っている。
日本によるミナミマグロの乱獲にオーストラリア政府が断固反対している本当の背景は二つあるように思える。一つは、オーストラリア政府機関の科学者 たちに、ミナミマグロが商業漁獲の対象種としては絶滅の縁におかれているという確信があることである。もう一つは、現在とりくみつつある輸出養殖産業の将 来発展への基盤としてミナミマグロを保護しようという保守政権の強い意思である。
オーストラリア政府はこのミナミマグロ問題については、野放しの乱獲についてかねてから憂慮していた、政府機関の上級研究者たちの意見を受け入れて いるように思われる。これらの研究者のある部分は総漁獲許容量を削減するよう勧告しようとしているようである。日本の科学者とオーストラリア・ニュージー ランドの科学者のあいだにある意見の相違は深刻であり、ますます厳しい対立になりつつある。また、1998年および1999年の日本独自のミナミマグロ調 査漁業は、事態をさらに混乱させることになったことも否めない。
しかし注目すべきなのは、オーストラリア内部の目で見れば環境問題については概して貧弱な実績しかあげていないハワード政権が、これらの科学者の意見を受け入れ、強力な経済的パートナーである日本との深刻な対立を誘発させる政策にまで踏み込んだことである。
このハワード政権の決意をどうしたら説明できるだろうか。南オーストラリアでのミナミマグロ養殖の崩壊につながりかねない乱獲を恐れているからでは ないだろうか。これがまず第一にあげられる可能性である。この養殖計画は、オーストラリア近海のミナミマグロ漁獲が壊滅的状況になっていた1991年に なって、南オーストラリアの小さな町ポート・リンカンではじめられた。
さびれた町の経済、地域の漁業会社を救済する最後の賭けとして、日本からのかなりの援助があり始められたこの計画は、マグロ養殖を急速に発展させ、現在年間1億オーストラリア・ドルの対日輸出産業となり、その雇用規模は1,000人を超えるまでになったのである。
さらに、オーストラリア政府の輸出振興方針のもと、日本のサシミ市場への養殖ミナミマグロ輸出は増加することが期待されているのだ。これは、外洋で の天然ミナミマグロ漁業との競合のなかで、しかもミナミマグロの資源量が持続可能な水準に維持されるかぎりでのことである(養殖のためにも天然魚の資源量 が必要などだ)。したがって、日本を国際法の裁きの場にまであえて引き出そうとするのではないだろうか。
漁場崩壊の危険を大きくする方法
科学的議論の領域でどちらが実際に正しいのかという問題についても、ミナミマグロの資源量をめぐってはあまりにも不確かさが大きいといわざるをえな い。ミナミマグロの資源量の現状、さらに重要なその将来については実際のところ誰も知らないのである。国際的な裁定の場で議論されている予測には多くの不 確かさがあり、大きすぎる誤差が組み込まれてしまっている。このことは、下の表からよく理解できる。表は、「高水準」でのミナミマグロ漁獲(現在の総漁獲 許容量よりもかなり高い、日本が要求している数字として読むことができる)と「低水準」(現在の総漁獲許容量あるいはそれ以下)の結果を予測したものであ る。
総漁獲許容量の高水準設定および低水準設定の結果予測
(ミナミマグロ資源量水準についての異なる予測)
楽観的予測 (日本) |
悲観的予測 (オーストラリア・ニュージーランド) |
|
---|---|---|
低水準設定 | 資源量は急速に回復 | 資源量はゆっくり回復 |
高水準設定 | 資源量はゆっくり回復 | 漁場は崩壊、商業漁業対象としての資源は完全枯渇 |
この表が明らかにしているのは、生態学的なリスクをどう配分するかという政治である。もし日本の楽観的予測が正しければ、低水準での漁獲(つまり、 現在の総漁獲許容量あるいはそれ以下)によって比較的早く1980年の資源量水準に回復することになり、高水準での漁獲でもゆっくりとした回復が可能だと いうことになる。もしオーストラリア・ニュージーランドの科学者の見解が正しければ、低水準での漁獲ならば、資源量の回復がゆっくりしたペースで可能であ る。しかし、オーストラリアとニュージーランドの悲観的予測が正しければ、高水準での漁獲はミナミマグロの資源量を崩壊させ、商業漁業の対象としてのミナ ミマグロ絶滅は極めて現実的なものになる。現行の総漁獲許容量を遵守することで日本が失うものはほとんどなく、もし日本の科学者が正しいとすれば資源量も 急速に増大するはずである。仮に日本の科学者が間違っていてオーストラリア・ニュージーランドの科学者が正しかったとしても、資源量はゆっくりと回復する はずである。高水準の漁獲設定では、漁場の崩壊の可能性がずっと大きくなることは明らかである。それも、すべてサシミのために。
ミナミマグロはほとんどが日本のサシミ市場で売買されている。金持ち国の贅沢食材のために、ミナミマグロ漁場崩壊と商業漁業の対象としてのミナミマ グロ絶滅の危険を冒すのは、信じがたいことだといっていい。現在のところ、このミナミマグロ問題は、科学者団体や環境団体のなかで大きな国際問題にはなっ ていないし、オーストラリアとニュージーランドでも公衆の関心事とはほとんどなっていない。しかし、悲観的な予測が正しいということを示すより確かな傾向 が明らかになれば、この沈黙はつづくはずがない。
楽観的な予測は、実質的にもっぱら日本の漁業筋(漁船の記録)からのデータにもとづいており、独立した科学的観察調査によるものではない。国連海洋 法裁判でオーストラリア側の弁護士は、カナダの近くの大西洋タラ漁場の教訓を指摘している。1991年このタラ漁場は崩壊したが、カナダ政府はその再構築 のための費用と、関連社会費用、保険費用に30億米ドルを支出しなければならなかったのだ。1991年以前のタラに関する政府による多くの評価予測のすべ てが、漁業筋に依存したものであり、どれもこれも見事に危機を予測できなかったのである。オーストラリアとニュージーランドは、より独立した、科学的に妥 当な調査研究が必要であると主張してきた。というのも、1991年以前にこのタラ漁場の崩壊がさしせまっていることを少しでも予測しえたのは、そういった 独立の調査だけだったからである。