希望の小さな星:戦争の影にある環境ヒーロー
もう宣戦布告はない
が戦争はつづく。未曾有のこと
が毎日。英雄は
戦闘員たちには近づかない。弱い者
が戦闘地域へと動員される。
いまどきの制服は忍耐、
その勲章はつつましく
希望の小さな星が心のうえに。インゲボルグ・バックマン『毎日』から
新しい年は戦争の影の下に始まった。ブッシュ政権がイラクを侵略し植民地化する計画が放棄されるチャンスは少なそうだ。国連安全保障委員会やアメリカの同盟国のなよなよとした抵抗は強力な一押しがあれば消し飛んでしまうだろう。いずれにしても、アメリカは同盟国や国連の協力を得て、イラクを攻撃したいのは明白であり、同時に単独でも侵略する準備をしている。必要なのは合法的なかくれみの-世界のマスコミの目を逃れるために充分な戦争の言い訳だけである。
アメリカがヨーロッパや中東の主な同盟国の意見さえ、まったくかえりみないのはそのとおりだが、現在注目すべきは、戦争が避けられなし、その後に続く人間や環境や政治の破局もまぬがれないという運命論が支配的になりつつあることである。これは単に戦争に対する恐れ、差し迫った危機感、あるいは戦争に向かって押し流されるという不安だけではない。より正確に言えば、それは、戦争を行うというブッシュ政権の決定を誰も防ぐことができないという確信なのである。理性的な人間ができることは何もないように思われるのだ。
理性的な反対意見は、ホワイトハウスを動かすことにはならない。非常に保守的な米国の財務長官が、戦争にかかる潜在的なハイコストは、景気後退の発端になる危険性があると指摘したが、彼はより従順な州知事と交代させられてしまった。ヨーロッパの同盟国は──英国は別にして──、相当数のイスラム教マイノリティーを抱えているだけでなく、交戦地帯のすぐとなりに位置する。驚くにはあたらないが、ヨーロッパ人は、海の向こうのテキサス州の人間よりは少しばかり用心深い。しかしそれも戦争をとめるには大した効力はないが。
ブッシュは、初期のレーガンのように、海外のまた国内のそれぞれに若干の異論を持つ同盟者を尊敬してはいないが、協議のために尊大な態度で召集する。「これ以上悩むことはない!」とホワイトハウスは言う。「どんなにわめいても計画は前進あるのみ。逃げるか潰されるかだ」。もちろんこれは、過激な米国政府の標準的な実行手続きではある。断固として戦争に反対しても、どれほど支持されるか確信がない相手を陥落させる有用な方法である。
しかし、この戦争へと鼓舞しなければならない最も重要なターゲットは国内だ。外国での戦争で自らの子供らが死ぬことを忌み嫌うことでよく知られたアメリカ社会である。ブッシュ政権が最も恐れるものは──サダム・フセインが国連決議に従うこと以外では──米国の鷹派がずっと以前に「ベトナム症候群」と名づけたものである。症候群にはブッシュの計画に対する脅威となるものが3つあり、いずれも、米国で戦争への一般の支持を失わせるものだ。イラクでの戦争が数か月以上続き、あるいは米軍人および空軍機乗組員の死体が積み上げられ、あるいはスマート爆弾と巡航ミサイルの弾薬による殺害効果がニュースで報道され、バクダッドやバスラでの劣化ウラン弾の戦車戦が上手に隠蔽することができなければ、今ある戦争への支持と宿命論の混在は、あっさりと消えてなくなる。そしてブッシュにとって2期目のチャンスも。
体制に従順な主流のメディアは報道しなかったが、米国では、戦争に反対する組織的・知的フレームワークが既に存在するという明らかな証拠がある。適切な情報を伝える反戦のウェブサイトがインターネット上に広がりを増しているだけでなく、組織的な反戦デモが、地方の主な都市で毎週のように行なわれている。米国の現在の反戦運動の組織レベルを、1965年にジョンソン大統領が南ベトナムへ50万の米地上部隊を送った時と比べてみよう。戦争が長期化し多くの痛みをともなうものとなれば、まさしく政権が恐れている組織された反戦運動が発生するだろう。
長引く戦争や、イラクの人々やその環境がアメリカ軍とイラク国軍の両方によって荒廃させられる接近戦を想定すること自体、たしかに絶望的かもしれない。しかし、視点を少し変える助け、自分の国の軍事機構についての真実を伝える助け、特に核国家の嘘を警告する助け、になるだろう。
出来ることは決して少くなく、二つの事例が思い浮かぶ。戦争の異臭ただようなかで新年が始まった今現在、二人の男が核国家に反対した罪で牢獄に囚われている。その二人とは、1987年から18年間もイスラエルに拘束されているモルデハイ・バヌヌと、2001年12月にロシアの軍事法廷によって4年の刑が宣告されシベリアの刑務所に送られたグリゴリー・パスコである。
子供のときにイスラエルに移住したモロッコ出身のユダヤ人バヌヌは、ネゲヴ砂漠のディモナにある極秘のイスラエルの核兵器工場で技術者として働いていた。イスラエル政府のパレスチナ政策に反対し、職務上の秘密に苦しんだ彼は1985年に辞職し、ディモナを離れオーストラリアへ渡った。熟慮を重ねたのちバヌヌは、イスラエルの核兵器の危険性を世界に警告しなければならないと決意し、反体制側と関係すれば、残りの人生をイスラエルの諜報機関に追われ、あるいは殺されるかもしれないことをよく知ったうえで、英国の新聞社サンデー・タイムズに彼の資料を公表した。
バヌヌが持ち込んだ資料と彼の話はサンデー・タイムズとその科学コンサルタントである核物理学者フランク・バーナビーによって厳格に調査された。数週間の調査のあと、バーナビーはバヌヌの話は真実であると認めた。バヌヌの提供した資料に基づき、初めてイスラエルの核兵器所有が決定的であると言えるようになった。それも一つや二つの原始的な核爆弾ではなく、爆撃機、大砲、あるいはミサイルに装着可能の、数百の精巧な核兵器だった。1986年9月にサンデー・タイムズに公表された記事を、イスラエル政府は当初は笑い飛ばしたが、最終的にはシモン・ペレス首相が真実を認めたのである。イスラエルは過去も現在も、主要な核保有国の一つであることを。
バヌヌは予期したとおりの代価を支払うこととなった。新聞公表の直前、彼はイスラエルのモサドの女性諜報員に誘惑されローマに行った。そこで誘拐され薬をうたれ、違法に、秘密裏にイスラエルへと連行されたのだ。秘密裁判によって18年の刑を宣告され、12年間は独房での禁固刑だった。
グリゴリー・パスコは、ソ連海軍の強力な太平洋艦隊の母港ウラジオストックで、海軍のジャーナリストとして働くロシア海軍中尉だった。しかしソ連が崩壊してから数年がたち、かつての誇れる艦隊の大部分はウラジオストック湾のよどみの中に錆びついていた。最新鋭の核ミサイルを搭載した攻撃型原子力潜水艦は、航海作戦はいうまでもなく、メンテナンスや要員確保の資金がなくなり、白日のもとに放射性の廃船となりうちすてられる。ウラジオストックの太平洋艦隊当局は、より規模の大きいノルウェー近くのムルマンスクを拠点とする大西洋艦隊の同僚と同じく、核時代の幕開けから身をひそめていた環境と健康の問題に直面したのだ。錆びた軍艦や潜水艦の高度に汚染された原子炉や、その周辺の放射能をおびた船体部分をどうすることができるだろうか?
答えは簡単でご承知のとおり。原子炉を海に投げ捨てるのだ。公平を期すために言えば、ロシア政府はこれを秘密裏に行なったわけではない。日本政府は錆びたウラジオストックの潜水艦の放射性物質を日本海深くに捨てる計画を通知された。日本政府が、賢くも、公には厳しく反対の声をあげなかったのは、彼らも同じように放射能廃棄物を海に捨てていたからだろう。もっと肝心なことは、日本政府がロシアが閉鎖性日本海域に投棄したニュースを市民に知らせないと決定したことだ。
パスコはロシアの投棄計画の情報をもちNHKのプロデューサーに接近し、グリーンピース・インターナショナルと共にロシア海軍の投棄をフィルムにおさめることを計画した。グリーンピースのボートはウラジオストック港からロシア船を追い、ロシアと日本海沿岸の間で、多くの放射性物質と機材が捨てられるのを録画した。騒ぎになり、日本政府は正式に抗議しなければならないはめになり、ロシアは最終的に投棄行動を中止した。
しかしパスコは反逆罪で逮捕された。結局はこの容疑がはずされたのだが、まったく不公正な軍法会議にかけられ、EUからのハイレベルな外交の抗議や特別使節団にもかかわらず、4年の懲役が課されたのだ。日本の政府からの抗議はほとんどなきに等しく、さらに驚くべきことには、この問題に日本のマスメディアの注意はほとんど払われず、日本の環境保護団体──グリーンピース・ジャパンは別にして──がパスコの釈放を求めるキャンペーンをはることはなかった。
バヌヌとパスコのような人々は、英雄という考えが愚かしく、時代錯誤に思える皮肉な時代のヒーローである。確かに我々は、子供時代に聞かされた英雄が、じつは多くの欠陥を持っていること──中身が全くないことや悪く言えば単なる偽善者であること──を学んできた。
あるいは、フロイトやマルクスによって変えられてしまった世界像のなかで生きる我々は、誰でも何らかの種類の構造主義者で、大きな経済的、技術的、あるいは文化的諸力が舞台を作り出し、われわれ個人はそこに構造化された役割を演じているにすぎないと考える。
あるいは、マスメディアが「有名な指導者」を取りあげ社会的諸力を個人の力であるかのように見せ、社会運動に活動する数万人の「普通の人々」の労苦の現実を無視していると警戒する。しかしその我々は、特定の個人がなした現実の犠牲がどれほど重要であるかも、見ないようにしてしまう。
単純な英雄観についてのこれら三つの批判的立場はいずれも根拠があるものだが、簡単に誇張されたり誤解されたりしてしまう。なるほど、バヌヌは無垢で光り輝く王子様ではなかった。ガールフレンドを欲した不幸で孤独な人間だったからこそモサドにによる古典的な罠、「甘い誘惑」で仕掛けられたのだ。しかし、ヒーローが完璧でなければいけないのだろうか。重要だったことは、彼が偏狭な国家の利益よりあえて人間の利益を、その結末を知りながら、まったく流行らない倫理に基づいた行動を選んだことだ。問題は彼にあるのではなく、我々にあるのだ。完璧を期待する我々の誤りなのだ。社会学者のリチャード・セネットが「浄化されたアイデンティティーの神話」と呼んだ問題なのだ。
反核運動と反戦運動は、核国家の現実や戦争の準備についての情報を提供するバヌヌやパスコのような人々の行動に深く依存している。大衆運動が何千もの人々の人目につかない仕事の産物であることも本当ならば、その大衆運動はまさに決定的瞬間に、我々のほとんどができない熟慮の末の決意からほんの少数の個人が行動することに依拠しているのだ。
新年があけるとともに、我々はバヌヌとパスコ、そして同じような人々の先例や行動を思い、尊敬を払い、感謝をささげたい。そして、オーストリアの詩人インゲボルグ・バックマンの詩、「希望の小さな星」を彼らにささげたい。
授与されるのは
何もないとき、
太鼓の響きがきえたとき、
敵が見えなくなったとき、
そして、永続兵器の陰が
空を覆うとき。
授与されるのは
軍旗を捨てたことに、
友だちに逆らう勇気に、
守るに値しない秘密をもらしたことに、
そして、命令にことごとくそむいたことに。
バヌヌ関連のリンク
アムネスティ・インターナショナル日本 ひろしまグループにバヌヌ関連のリンクが多くあります。
パスコ関連のリンク
パスコさん、救援キャンペーンにご協力を!(グリーンピース・ジャパン)
ロシア:グリゴリー・パスコ氏に4年の刑の判決環境保護を訴えたために矯正労働所へ(アムネスティ発表国際ニュース(抄訳))
The Pasko case(Bellona)