「サシミの刑」──南マグロは生き残れるか (その3)

「サシミの刑」──南マグロは生き残れるか (その3)

わずかばかりのお情け

ミナミマグロ委員会においても、わずかとは言え事態の進展はあった。ミナミマグロについてその輸出国を明示する認証制度導入を日本が図ることになっ たのである。この制度が発足すれば、輸入されるミナミマグロが、委員会に参加していない国に便宜的に船籍を置くことにより規制を逃れた操業によるものであ るかどうかが、たちどころに判明する。そして、こうした規制逃れのマグロの輸入制限につながるはずである。実際のところ、1999年12月、グリーンピー スやトラフィック・ジャパンの批判を受けて、またそのような認証制度導入を懸念して、日本最大のミナミマグロ輸入業者である三菱商事は、委員会に参加して いない国からの買い付け停止を発表した。しかし、台湾、韓国、インドネシアといった委員会非参加国からの輸入が高い水準にありさらに増加しているという深 刻な問題がこれで解決されるわけではない。

進むべき道 — ワシントン条約規制対象リストへの登録

とにかく鍵を握るのは日本である。現在、日本のミナミマグロ漁は事実上野放しと言ってよい。というのも、日本は捕獲水準を二度にわたり引き上げ、そ れはミナミマグロ委員会の1990年代中期割当枠の40%にまで達しているからである。ミナミマグロ漁規制という点では、委員会は無力に等しい。一方、調 停裁判が行われれば、その裁定はすべての当事者国(オーストラリア、ニュージーランド、日本)に対し、法的拘束力を持つものになる。この調停裁判が、他国 の了解を得ないまま日本が独自に実施しているミナミマグロ実験漁計画の放棄を命ずればよいのであるが、ミナミマグロ委員会が何らかの措置を取るには全会一 致の合意が必要とされるので、なお現在の膠着状況を打開できず、何ら意味ある役割を果たせないままに終わる公算が強い。日本はミナミマグロの資源管理責任 をインド洋マグロ類委員会に移すことを提案しているが、これにはオーストラリアもニュージランドも反対している。インド洋マグロ類委員会は骨抜きにされて いるという周知の事実がその理由である。口には出さなくとも、インド洋マグロ類委員会に名を連ねる国々の過半は比較的貧しく日本の財政的影響力に対して弱 い存在であるという事実が、両国の交渉担当者の頭にはある。

台湾、韓国、インドネシアが規制のないまま操業を続け、日本自体がミナミマグロ委員会から脱退する可能性もあるなか、ミナミマグロ保護の数少ない手 段のひとつに、ワシントン条約(CITES:絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)の規制対象種リストへの登録がある。条約の附属書 II に記載されたなら、締約国はすべてその種に関わる国際取引を持続可能な水準に保つことが義務化される。すなわち、日本、オーストラリア、ニュージーランド ばかりでなく、台湾、韓国、インドネシアもこうした規制のもとに置かれるのである。

これまで、オーストラリア政府はワシントン条約への種の登録という方法に反対してきた。ミナミマグロ委員会による規制の方が効果的というのである。 とはいえ、すでに死に体同然のミナミマグロ委員会が完全に崩壊してしまえば、ワシントン条約附属書 II にミナミマグロを規制対象種として登録することを求める政治的圧力が、オーストラリア政府に対し急速に高まることになろう。そして、オーストラリア政府が それに応えれば、日本は猛然とこれに反発することになる。大西洋マグロ類国際保存委員会が何十年にもわたり適切な保護措置を怠った結果、厳しい状況の危急 種となってしまったキタマグロ(学名:Thunnus thynnus)の登録をスウェーデン政府が提案したときの状況が再現されるのである。こうして国際環境NGOの厳しい批判にさらされるという日本政府の 悪夢は現実のものになる。この問題は社会的に大きな反響を呼び、日本糾弾の声はオーストラリア、ニュージーランドに始まり、しかしそこに留まることなく世 界に急速に広がる。日本は孤立し、守ることのかなわないものを守る戦いを強いられる。それは、何の制限もなくマグロの刺身を食べるために、ある生物を絶滅 の淵に追いやる権利を守るという戦いである。

自然に対する責任という観点から見れば、少なくともこの場限りにおいては、オーストラリアの姿勢は賞賛に値し、日本の姿勢は非難すべきものである。 しかし、現状を見れば、残されたミナミマグロを守るには、これで十分というわけにはいかない。英国のよく知られた水産科学の権威であるベディントン教授 は、専門的見地から証言を行うため、オーストラリア、ニュージーランド側の証人として、昨年、国際海洋法裁判所の公判に出廷した。この証言において、ベ ディントンは、日本側とオーストラリア・ニュージーランド側双方の科学者のあいだで意見が一致していない点は別にし、両者のあいだですでに合意をみている 科学的認識だけからしても、ミナミマグロ漁獲量の削減を勧告することになろうと明言した。実際のところ、オーストラリアやニュージーランドの科学的分析の 多くはこうした漁獲量削減の必要を示唆するものである。特に、日本、台湾、韓国、インドネシアのミナミマグロ漁獲量が増大している現状を考えると、なおさ らである。

ある生物種をワシントン条約附属書に記載する提案ができるのは締約国政府に限られる。そして、政府がこのような行動を取るのは、自然に対する私心の ない高い水準の責任感という裏付けがある場合か(1991年にスウェーデン政府がキタマグロに関して取った行動がそうであったように、これは、その対象と なる生物種の経済的利用に直接関わっていない場合であることが多い)、もしくは長期にわたるその種の利用に関し当事者国の利害が強力な国際規制の存在のも とではじめてうまく守られるという判断がある場合に限られる。

国際規制、自然に対する責任、そして民主主義

戦後を特徴づけるものに「公海の自由」という原則の後退がある。これにより日本の水産業は大きな打撃を受け、構造転換を余儀なくされた。ミナミマグ ロ委員会の規制といった生物資源管理の任意の取り決めは、商業利用の可能性があるすべての生物種を対象にする包括的な国際資源管理に向かう中間的で不十分 な一段階に過ぎない。ミナミマグロをワシントン条約の規制対象種にすることが、当然これに続く一歩になる。とはいえ、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機 関(WTO)、世界銀行など多くの国際統治に関わる機構と同じように、ワシントン条約も締約国政府だけがその構成員として認められる体制のひとつに他なら ない。これは、民主的な責任が十全に果たされることに対し重大な阻害要因として働く。ここで必要とされるのは、国際環境保全組織といった市民団体が、必要 に応じて規制対象リストへの登録を提案し適切な形でその意思決定に参加できるようなプロセスが作られることである。ここでは自然に対する責任という問題と 民主的意思決定に関わる問題とが互いに重なってくる。政府がその構成単位になる国際システムが、これら二つの問題群いずれにもうまく対処できずその役割を 果たせないことがよく起こるのである。